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お久しぶりです 小泉さん

やっぱり小泉さんだ、今日はこっちから登ってきたのか。晴耕雨読にはいって一年、今日から4月という日、三日前に開花が宣言されたソメイヨシノはまだ花がまばらでつぼみが多かった。気温がちっとも上がらないからで今朝も寒い。ウォーキング途中に緩やかな登りで足をとめ道端にしゃがんで小さな崩壊面で咲くたくさんのショウジョウバカマを次々に写真に撮っていると後ろを通り過ぎて登っていく人影が視野の左隅にはいった。ひょっとして、と思い顔をあげてそっちを見ると小泉さんだった。小泉さんはほんの少し上がったところに立つカーブミラーの前で立ち止まった。
 写真を撮り終え再び登りはじめようと立ち上がると小泉さんがこっちに向かって下りてきた。目と目が合ってぼくの方からあいさつした。おはようございます。おはようございます。お久しぶりです。お久しぶりです。小泉さんはぼくの言う通り復唱するように同じ言葉で返してきた。双方いつもの笑顔だ。ふたりは立ち止まるでもなくあいさつしただけでそのまますれちがった。ぼくらふたりはいつもこんな感じだった。
 すれちがって少し行ってから気が付いた。あれっ、下から登って来たと思ったのに上から下りてきたのか。いやちがう小泉さんは確かに登ってきたんだ。すると下りてきたのが何かの理由でカーブミラーまで引き返したのか。なんだったんだろう。なにもないところだが。まさか自分をカーブミラーに映して見ていたわけではあるまい。

 小泉さんはぼくと少し年下だろうか。頭髪の白髪率は同じようなものだ。二年ほど前からウォーキング途中に姿を見かけるようになった。ぼくがウォーキングに出る時間を少し遅くしてからのことだ。春から秋は毎日のように見かけるからもう仕事は辞めているんだろう。冬はあまり見かけない。しかし小泉さんは元気な人で歩かずに走っていることがたまにある。短い距離だが全力疾走もする。また決まったコースを決まった時間に歩く老人たちとはちがって歩くコースは決まっていない。今日のように墓地の方へ下りることもあれば逆に墓地の方から上がってくることもある。丘陵公園を歩いていることもある。それに歩いたり走ったりするだけではなく墓地の管理事務所前のテーブルで手帳になにか書いていることがあってそれが丘陵公園の展望台で長椅子をテーブル代わりにしてということもある。

 ぼくと小泉さんが互いを意識するようになったのは半年ほど前からだった。先ず小泉さんがすれちがい際にぼくを横目で見つめて通り過ぎた。次にすれちがったときにぼくが軽く会釈すると小泉さんも同じように会釈した。その次は、おはようございます、と言ってみた。小泉さんもほぼ同時に、おはようございます、と返した。こうしてすれちがうたびにおはようございますとあいさつをするようになったがずっとただそれだけだった。だから今日お久しぶりですと言いわずかながら会話のようになったのは画期的と言える。


 そういうわけだからぼくは小泉さんの名前を知らない。それならなぜぼくが小泉さんと小泉さんを呼ぶのか。小泉さんは長髪でそれが小泉元首相にそっくりだからであの人と呼んでもいいのだが小泉さんと呼ぶことに決めている。小泉さんがカーブミラーまで引き返してまた下りてきたのはしゃがんで写真を撮っているぼくに気付いたからだったのだろう。そう考えるのはなんとなく小泉さんとは気が合いそうだとこのごろ思いはじめているからでむこうも同じなのかもしれないという気がする。 2025年4月3日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

ショウジョウバカマ2025年4月1日野田山


写真 虎本伸一




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